2010年8月25日水曜日

ジョン・カサオナ「密猟者から世話人へ」(邦訳)

以下は、TED Talksのひとつ、 ジョン・カサオナ「密猟者から世話人へ」(John Kasaona:How poachers became caretakers)の拙訳による日本語訳文です。このトークについての紹介はこちらをご覧ください。





アフリカにはこんな諺があります。「神は白人に時計を与え 黒人に時間を与えた。」(笑) 時間をたっぷりと与えられた人間が18分で話をするなんてことができるのでしょうか。それは至難の業です。

このところアフリカに関する話といえば、飢餓やエイズ、貧困や戦争のことばかりです。でも私がこれから話したいのは、成功についての話です。 南西アフリカにある ナミビアという国についての話です。ナミビアは人口210万人、面積はカリフォルニアの2倍ほどです。

私はナミビア北西部の田舎出身です。クネネ州というところです。クネネ州の中心にあるセスフォンテインという村で私は生まれました。これが私の故郷です。アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットの話に詳しい人ならば、ナミビアがどこにあるのかご存知でしょう。彼らはエンパイア・ステート・ビルよりも高いナミビアの美しい砂丘を愛しています。風と時間が奇妙な景観を作り上げました。そしてこうした風景の中で、この厳しく変わった大地での生活に適応した野生動物が暮らしています。

私はヒンバ族です。なぜ洋服を着ているのかと不思議に思われるかもしれません。私はヒンバ族でもありナミビア人でもあります。ヒンバはナミビアに住む 29の民族のひとつです。非常に伝統的な暮らしをしています。私は放牧をしながら育ちました。ヤギや羊、牛など 家畜の面倒をみるのです。ある日、父が私を茂みに連れ出して言いました 「ジョン お前には 立派な遊牧民になってほしい。もしお前が動物の世話をしていて チーターがうちのヤギを食べているのを見つけたら、チーターはとても神経質だから、そいつに向かって歩いて行くんだ。歩いて行ってお尻を引っ叩け。」(笑) 「そうすればチーターはヤギを放して 逃げていくだろう。」 父は続けました。 「もしお前がライオンに出くわしたら 動くんじゃないぞ。 動かずにじっと立っていろ。胸を張ってそいつの目をじっと見つめるんだ。そうしたら、お前とは喧嘩したくないと思うかもしれない。」(笑) 父はこんなことも言いました。 「でも もしヒョウを見たら 一目散に逃げるんだぞ。」(笑) 「世話をしているヤギよりも速く走るつもりで逃げろ。」 (笑) こんな風にして、私は自然のことを学び始めたのです。

普通のナミビア人であり、ヒンバ族であることに加えて、私は訓練を受けた自然保護論者でもあります。草原に出るならば 向き合えるものと逃げるべきものを知ることはとても重要です。 私は1971年に生まれました。アパルトヘイトの時代です。白人たちは農場も放牧も狩猟も好きなように行えました。でも私たち黒人は野生動物を扱ってよいとは見なされていませんでした。私たちが狩りをしようとすると決まって密猟者呼ばわりされました。そして罰金を科され刑務所に入れられたのです。

1966年から1990年の間、アメリカとソ連がナミビアの支配権をめぐって争いました。戦時中は 軍隊が動き回ります 。軍人たちは貴重なサイの角と牙を求めて狩りをしました。キロあたり5,000ドル程度で売れたのです。その当時ヒンバ族はほとんど皆ライフル銃を持っていました。 戦時中だったので .303ブリティッシュ式のライフルが国中いたるところにありました。

同じ頃 - 1980年頃ですが、深刻な干ばつが起こりました。残っていたほとんど全ての動物が死にました。私たちの家畜も、守られていたとはいえ ほぼ全滅しかかっていました。皆お腹を空かせていました。ある晩のことを覚えています。腹を空かせたヒョウが 近所の家に入り込み、眠っていた子どもを連れ去ったのです。とても悲しい話です。現在でさえ その記憶は消えず、この事件は誰も忘れることができません。そして同じ年 私たちはほとんど全てを失いました。父が言いました「学校に行ったらどうだ?」 そして私は 何かすることがあるだろうと学校に送られたのです。

私が学校に通い始めた年、父はNGOで職を得ました。IRDNC (地域開発および自然保護総合トラスト) です。彼らは多くの時間をコミュニティの人とともに過ごし、村の長であるジョシュア カンゴンベなど 地元の人々から信頼されていました。ジョシュアは事態に気がつきました。野生動物が消え 密猟が激増していたのです。絶望的な状況のように思えました。 死と絶望がジョシュアとコミュニティ全体を覆いました。

でもその時IRDNCの人たちがジョシュアに提案しました。あなたが信頼する人々に我々が給与を払い 野生動物の面倒を見てもらってはどうか? コミュニティの中に草原と野生動物のことを よく知っている人は いないのか? 長は答えました。「いるよ 密猟者たちだ」 「何だって?密猟者?」 「そうだ 密猟者たちだ」 それが私の父だったのです。 父は長いことずっと密猟をしていました。アフリカのどこかでは 密猟者たちの借金を棒引きにしましたが、IRDNCは人々が自らを管理する能力と野生動物を保持・管理する権利を取り戻す手助けをしたのです。こうして人々が野生動物は自分たちのものだと思うようになると 動物たちの数が増え始めました。それがナミビアにおける動物保護の基礎となったのです。ナミビアの独立後、コミュニティ主導のこの方法は新政府に支持されました。

この原則を支えるものが3つあります。一つ目は、伝統を尊重しつつ新しい考え方を受け入れることです。これは私たちの伝統です。ヒンバ族の村には聖火があります。聖火のある場所ではご先祖様の魂が 村の長を通して 水や牧草がどこにあるのか、どこに狩りに行けばよいのかを語ります。これが私たち自身を環境と調和させる最良の方法だと私は思います。ここに新しいアイデアを組み合わせるのです。ヘリコプターでサイを移動させることは、見えない魂を通して語りかけることよりもずっとたやすいことではないでしょうか。こうしたことは外部の人から教わったのです。外部の人から学んだのです。私たちはヒンバ族の伝統的な土地の大きさを把握する術が必要でした。GPSが土地の姿を正しく映し出しているのか、それともただ西洋で作られたというだけのものなのかを知るためには、私たちがGPSのことをより良く知る必要がありました。先祖伝来の地図とどこか別の場所で作られたデジタル地図が一致するのかどうかも知りたかったのです。こうしたことを通じて、我々は自分たちの夢を認識し、伝統を尊びながら新しいアイデアを取り入れるようになったのです。

二つ目には、私たちはいろいろなものから恩恵を受けられる、より良い暮らしがしたかったのです。父のようにほとんどの密猟者は 私たち自身のコミュニティ出身でした。部外者ではなく、私たちの仲間だったのです。時々彼らが捕まった時でも、大切に扱われコミュニティに戻って来ました。そしてより良い暮らしへの夢を共有するようになりました。父のように一番優れていた人は -父を売り込んでいる訳ではありません - (笑)、他の者が密猟するのをやめさせる責任者になりました。こうしたことが行われるようになると 私たちはひとつのコミュニティとなり 自然とのつながりを知るようになりました。ナミビアではそれはとても強力なことなのです。

最後の要素は、これらのことを実現する手助けとなるのはパートナーシップだということです。 ナミビア政府は我々の伝統的な土地に法的地位を与えました。もうひとつの協力者は ビジネス社会です。ビジネス界によってナミビアに世界の眼が向けられるようになり、野生動物が農業など他のどんな方法にも劣らぬ貴重な土地の利用法になりました。現在ナミビアにいる 自然保護を行う私の同僚たちのほとんどが WWF (世界自然保護基金)の 協力によって行われた最新の保護訓練を受けています。WWFはまた プログラム全体に 20年間資金を提供してきました。WWFの支援を受けて 私たちはとても小規模だったプログラムを 全国的なものに発展させてきました。セスフォンテインは もはやナミビアのどこかに埋もれた孤立した村ではありません。こうした資産があるので今ではグローバルビレッジの一部です。

父がコミュニティで動物を守る仕事を始めてから30年になります。今は亡き父が現在の成功を 見ることができないのが残念です。私が1995年に学校を終えた時、我々の住む北西地方全域でライオンは20頭しかいませんでした。今では130頭以上になりました。(拍手)もしナミビアを訪れることがあれば、絶対にテントで寝泊まりして下さい。夜に歩き回ってはいけません!

(笑)

クロサイは1982年には絶滅しかかっていましたが、現在はクネネ地方に世界最大の自由に歩き回るクロサイの集住地があります。そこは保護区の外なのです。

(拍手)

今ではヒョウの数も増えました。でも彼らは村から遠い場所にいます。シマウマやガゼルなど野生の獲物が何倍にも増えたので、ずっと遠くにいるのです。千頭にも満たなかったところから何万頭にまで増えました。

コミュニティの管理人が地域を巻き込んでいくという 小さな活動として始めたものが、今ではいくつもの「管理委員会」へと成長しました。管理委員会は政府により法律で定められた機関です。コミュニティに恩恵をもたらすため、自らの手で運営されています。今では60の管理委員会があり、ナミビアの1300万ヘクタール以上の土地を保護・管理しています。私たちは国全体の保護活動を作りなおしたのです。世界中でこれほど大規模なコミュニティ主導の保護活動を行っているところはありません。

(拍手)

管理委員会は2008年には570万ドルを生み出しました。自然資源を尊重することに基礎をおく新しい経済です。このお金をいろいろなことに使うことができます。非常に重要なのは教育に使うことです。次にインフラ整備や食料のために使います。同様に重要なのはエイズ教育にお金を使うことです。アフリカではエイズが蔓延しているからです。こうしたアフリカからの良い知らせを 私たちは声を大にして伝えたいのです。

(拍手)

今 世界に必要なのは、あなた方が私やパートナーたちを手助けして、我々がナミビアで学んだことを 同じような問題を抱えた他の地域に伝えることです。例えばモンゴルや、あるいはあなた方の裏庭であるグレート プレーンズの北部などです。そこではバッファローなどの動物が苦しんでいて、多くのコミュニティが衰退しています。私はこう考えるのが好きです。ナミビアがアフリカの手本となり、アフリカがアメリカの手本となるのです。(拍手) 私たちがナミビアで成功したのは、野生動物を健全な状態にするということよりも ずっと大きなことを夢見ていたからです。地元のコミュニティの暮らしを改善できなければ 自然保護は失敗するだろうと皆わかっていたのです。私とともにナミビアのことを語りましょう。いやむしろ ナミビアに来て 私たちの成し遂げたことを自身で見て下さい。また、私たちのウェブサイトに来て 世界中で行われているコミュニティ主導型自然資源管理の取り組みや どうやったらその手助けができるのかを知って下さい。どうもありがとうございました。

(拍手)



[このトークの翻訳は、Takako Satoさんにレビューをしていただきました。]

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