2010年10月22日金曜日

「イメージのかけら」を大切にするということ

詩人・長田弘さんの対談集『問う力 始まりのコミュニケーション』を読みました。2005年から2008年の間に、岡田武史さん、ピーター・バラカンさん、桂歌丸さん、隈研吾さんなど、それぞれの分野で活躍する11人の方と長田さんが対談をした記録をまとめたものです。

問う力 始まりのコミュニケーション―長田弘連続対談
問う力 始まりのコミュニケーション―長田弘連続対談長田 弘

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自分の中では、何となく詩人というのは「自己との対話」を大事にする人なのかなという印象を勝手に抱いていたのですが、ここに記されている「他者との対話」も非常に面白いものでした。

長田さんは、コミュニケーションとはシティズンシップを日々に滋養するもので、「自ら問う」そして「自らを問う」ことで不断に支えられなければならないものだと言います。それが、上に書いた"自己との対話"、"他者との対話"につながるのだと思います。

さまざまな視点から語られるコミュニケーションの形がこの本の大きな魅力ですが、印象に残った一節をひとつ挙げるのであれば、映画監督の是枝裕和さんとの対談中に長田さんが述べた次のような言葉です。

「どんな表現も、最初はあるイメージからスタートするんだと思う。ストーリーからでなく、イメージから出発するんですね。それで最後にのこるのもまた、イメージなんですね。」

これは、以前ジブリ美術館で見て心に残っていた「空想と予感、そしてたくさんのスケッチ、イメージの断片。その中から、映画の核となるべきものが見えてきます。」という言葉と見事に重なっています。最初に現れるのは、空想の思いつきや1枚の写真で切り取られたようなイメージ。そこからストーリーや映画など、あらゆる表現が生まれてくるということを、どちらも述べているからです。

自分の中にでもそうした瞬間的なイメージが浮かぶことはあります。でもそれは、小説や映画のように連続した流れを持つものとはかけ離れたものだと思っていました。しかし、上のような言葉を見ると、両者は決して断絶しているものではないことがわかります。

空想やイメージをいかにして大切に育み、他にもあるはずのイメージの断片たちとつなぎ合わせていくのかというところに、表現における創造性があるのかもしれません。

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